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寒空から朝日だけが透過されて、それはブラインドの間から部屋に侵入していた。おかげで私には彼女の顔は僕に、口付けをするときのようにこちらが顔を寄せなくても細部まで晒され、逆にこちらの顔は見上げる彼女からは逆光で黒ずみ、じっくり観察されずに済むわけだ。
「ゴヨウさん、いえ、ゴヨウさま」
様、はやめてくれと何度言ったら分かってくれるのか。
「この手を…握ってください」
女はそう言って少し顔を赤らめた。
「あなたにみちびかれたいのです」
「私を伝道師か何かのようにお考えか。…ばかな事をおっしゃらぬよう、御体に障ります故」
「つぎにおあいするときは、あのあなたのお部屋で」
私を見上げた女の瞳は潤んでいて、頬は紅く染まっていた。
「むらさきの。むらさきのよいかおりがして、あなたの髪のかおりもして、あなたがだしてくださる紅茶のかおりもして」
すこし早口になった女の手を撫でながら私は諭す様に言った。
「わかっています。…わかっていますから、今はすこしお眠りなさい」
「ねえ、あなたはいつもわたしをたすけてくださる。こんどはそう、わたしをねむりにいざなっていただけないでしょうか?」
「催眠術の心得はありませんよ…歌も歌えませんし」
「ご冗談を…わたしはまた。あのおはなしがききたくて…あなたが御本で読まれたうちゅうのはじまりの…」
「あんな小話、この空間には胡散臭く響くだけでしょう。実際にあれは物理学者たちの見た悪い夢であると、個人的には思っています」
それでも私はひとつひとつ言葉を並べるように喋りだした。
「むかしむかし、それは いのちのめざめの い の字も なかったころ…」
彼女は満足そうに、藤色の前髪で影が落ちているであろう私の面を見上げていた。が、軽く咳き込んで、
「すみません…もうそろそろ、時間、のようです」
とその細い上半身から声を搾り出した。
「…そうですか」
「御手を…拝借します」
私の手を胸におしいだいて、女は眠りについた。(どうしようもない虚無感が私の胸を襲った。)
眠りについただけだ。