花に関するあれこれ

 彼女―は最近、自分だけの秘密基地を見つけたと言って俺のそばにいないことが増えた。時折俺のところに戻ってきてはくすくす笑って俺の周りをくるくると舞う、まるで蝶か何かみたいだ。その時ふわっといい匂いがするものだから、つい俺は蝶を捕まえるようにして両手でを捕まえようとするのだけど、彼女はひらりとかわす。俺がいつも何処に居るのか聞いても笑みのまま何も喋ってくれない。秘密基地?いっそのこと俺が地下を全部掘り返してやろうか。

 街や、森や雪原や洞窟は蜃気楼の様に逃げてゆかないのに、俺はがむしゃらに貪欲に、かつ性急にそれらを求めた。未知との遭遇。立ち止まる事を知らなかった訳ではない。ただ、花や緑より、町の人々より、もっと画期的で「活気的」な何かを俺は探していた。それらは俺が一つずつ並べられた的を射るように目標を達成していくのと同時に、俺の後ろからは消えていき、かわりに自分の前に増えていくような気がしていた。

 赤髪の眼鏡男はパソコンの画面をざっと見て特定の反応がないことを確かめてからこっちを振り返って言った。「ちゃんの秘密基地は今現在地下にはないみたいだけど…」

 小さい頃からアイツはそうだった。俺にとって肝心だと思える事全部くすくす笑いで煙に巻いてしまって、俺はばかみたいにそんなに困惑してたっけ。男は単純だってこと、アイツは知らなかったんだろうな。今も気付いてなさそうだけど。けれど本当のことを言うと、そんな彼女が、俺は、好きだ。

 僕はたまたま花畑に行く機会があって―あまいみつを買いにいったんだっけ?その時に会った。久しぶりだったから少し座って話でもしようかと思ったけれど、僕がその旨を伝えると彼女は段差の上から僕に笑いかけて(段差を飛び降りてきてくれなかったことからしても彼女にその気はなかったんだろう)そして、ふっと消えた。彼女がただ花畑に後ろ向きに倒れこんだと知るまでの数十秒間、あるいは数分間だったかもしれない、僕は尋常ではないほど困惑した。彼女の消滅に際したからかもしれない。

 旅の間中ずっと俺に追いつけないとぼやいていた彼女は、俺のそれとは違う彼女流の旅の仕方を貫いていた。第一に自然に溶け込むこと、第二に人々に溶け込むこと―彼女のモットーだ。

 日がもうそろそろ落ちるのだろうか、鈍い黄色の光が街に覆いかぶさっていた。次第に夕闇へと移り往く光の色をたっぷり時間をかけて観察して、俺は街の奥に続く花畑に足を踏み入れた。風の音は途切れなく続き、夜の涼やかな空気を運んできていた。昼間のあまり高いとはいえない温度でも花の香りは空気中に伝播したらしい。そこかしこで花の匂い−の匂いがした。
案の定彼女は花に埋まって寝息を立てていた。こんな時間まで外で呑気に昼寝してたら風邪ひくよ、などと声をかけるのは無粋というものだ。そのくらい彼女はそこに存在していて遜色はまったくなかった。花の化身なんじゃないか。
紫の花びらが宙を待って、彼女の震える睫毛をかすめて飛んでゆく。そんな綺麗なものじゃないとわかっていても、彼女の唇に無意識に触れようとする俺の手をつい蝶に喩えてしまう。唇と指、延いては、唇と唇。

 彼が来たのだ。私には分かる。コウキくんが私の居場所を彼に教えたとは考えにくいから、彼は自力で私を見つけてくれたのかも。いつも私が圧倒されるあの彼の性急さが今日は少し凪いでいたみたいだ。しかし相変わらず通ったあとは花びらが嵐の後のように未だ舞っているので私は思わず微笑んでしまう。
花びらのように僅かな存在でいて、けれど花びらにはあまり感じられない熱を持った唇に触れる。ようこそ、私の秘密基地へ―