lesson
(Wait until I''ll stand next to you)
黒板を見つめる目の焦点が合っていないことに気付いた刹那、頭上から野太い声が飛んできた。私の苗字を一生懸命に呼んでいる。
「たまに起きてるとおもったら、これだ…学校がどういう場所か、ここに来るおまえがどのような姿勢であるべきか分かっているのか?」
周りを見回さなくても、くすくす笑いとか、男子がとばす野次とかで(「おまえもっとうまくやれよー」)みんながどういう顔をしているかは分かる。隣に座っていて、いつも私の目覚まし係になってくれる友達が心配そうに私の顔を覗き込む。
「チマリ…ごめんね、私あいつがこっち見てるのに気付かなくて…教えてあげられなくて」
私の意識が窓の外に飛んでいたことを分かってくれているのだ。本当は謝ってくれなくても私は全然構わない。だって間違えた事をしていたわけじゃない。
ナギサを訪れている麗らかな冬の陽は校庭とその向こうに見える歩道橋みたいなソーラーパネルに降り注いでいて、それはキラキラ光って私を呼んでいるみたいに見えた。あれの上を歩いていけば、彼のいる高台のジムまでたどり着くことができるのだ。そのことを考えるだけで私はつまらない算数の授業なんかから、教室に体だけ残して逃げ出す事ができる。
学校なんて役立たずだ。なんでもっと役に立つ事を教えてくれないんだろう?今の私のこの気持ちを足し算や割り算やかくかくした図形なんかで表すことなんてできない。ものを、ひとを、どれだけ好きかなんていうのも数字で表せないじゃない。どんなに人のこころを蕩けさせる文章が書けても、実際それを口に出す事は教えてもらえない。彼のようなひとは道徳の教科書には絶対登場しないけれど、それでも私は彼が大好きだとかね。
自分で自分を幼いと思う事がある。それは彼の傍に居るとき、正確には居させてもらっている時によくそう思うのだけれど、それはひとえに彼が難しい漢字を使って報告書をまとめているからでなく、彼がぶつぶつ言いながらも結局自分のしでかしたことに責任を取っているからでもない。
誰も教えてくれなかったこと。恋ってなんですか?まだ私にありがたいお言葉を並べ立てているこのひとに訊いたら多分目を覚ませって言われただろう。ばかな男子に訊いたらありもしない噂の一つや二つ、簡単にでっちあげられたことだろう。(ご心配なく、私、大好きなひとが他にいるんです)隣の友達に訊いてもおそらく正しい答えは得られなかった。けれど彼は私が尋ねたとき顔色一つ変えずに私の胸を指差して、それは「ハートが震えること」だといとも簡単そうに言ってのけた。(その後すぐに彼は配線をいじる作業に戻ってしまった)その短い一節に凝縮された彼の癖とか経験とか思い出とか眼の色がどっと私の中に流れ込んできて、その時初めて私と彼の身長差がただの物理的な違いに留まらない事に気付いたのだ。
彼と同じぐらい大好きなピカチュウのきぐるみはそんな私と彼を子供とオトナという違う土俵に立たせる。その違いは私の愛の告白を、単に頼れる兄のような人物に対しての感謝の言葉に変えてしまったりするのだが(「デンジ、だいすき!」「おぅ、そうかそうか。で、何が欲しいんだ?」)今の私は耐えるばかり。学校でかさ高い学問を習得して、彼やオーバさんからもっと世間を教えてもらって、背丈が伸びて、きぐるみもいらないほどかわいい女になったら彼と同じ土を踏むんだから。
「…まったく、説教の最中に、しかも教師を前ににやにや笑うとはどういうことだ!」
(今度すっとぼけたら許さないんだから)